来週で最終回・・・とてもさみしい。と思ってしまうドラマ。
『僕らは奇跡でできている』昨日で9話目・・・10話で終わるのは短いです。
先週、山田さんとの過去と「タコの理由」が明かされ、高橋一生さんと戸田恵子さんの2人のシーンに涙・・・でした。
タイトルの『奇跡』の意味も少しだけ理解できました。
そして2人の親子関係が明かされても、今までと変わらない関係性はこのドラマの安定感につながっていてホッとしました。
昨日の9話では、水本先生とこれまでとは違う、もしやの恋愛トーンにもなりましたが ・・・
それでも後半までは、ドラマ自体は変わらない雰囲気でした。
ところが・・・それが樫野木先生の爆発によって物語の色が変わってしまった・・・。
けれどドラマをずっと見て来た人なら樫野木先生の気持ちも痛いほどわかると思う。
一輝の驚いた表情と涙、きっと傷ついただろうと思うと辛いシーンでしたが、樫野木先生の心の傷も垣間見れる場面でした。
かなり辛辣なきつい言葉を重ねた樫野木先生。
そこまで言わなくとも・・・と思えるけれど、
このドラマには、いつか必ず必要になるセリフだったのかもしれないと私は思います。
そもそも、このドラマでの一輝の設定は特にハンディキャップについても触れて居ないはず。
けれども、ちょっと一般的なオトナとは違っている一輝が
オトナの入り口にさしかかっている生徒や
「オトナらしい」大人達に変化を与えていくストーリーで、
それが観ていてとても温かな気持ちにさせられてきました。
そして、登場人物たちは今まで一輝をだれも攻撃したり責めたりはしなかった。
それがこのドラマの心地よさでもあったけれど・・・・
でも、それでだけでは一輝が特別な人。特別な存在として周りの恩恵を受けながら生きていくオトナになってしまう・・・
それでは何かしらのハンディキャップを超えて、世のオトナたちとお互いに対等な存在にはならないのでは?と思うところがありました。
なのでもしも樫野木先生があそこまでの言葉を一輝に言わずに飲み込み、
心の内で「この人に言ってもどうせ理解できない。」と思ったとしたら・・・ それは一輝と対等ではなくなってしまう。
体や心にハンディキャプがある人を憐れむことは、ヒトは割と簡単にできると思うのです。
けれど、そのハンディキャップを超えて対等に接することはとても難しかったりする。
オトナらしく振舞っている人ほど。
研究室の同僚で蟻の観察をしている沼袋先生は、ある意味どの人にも対等なんですよね。
そこに彼の役割があるのではと思って観ています。
そして・・・・樫野木先生に対して冷静に助言をした鮫島教授。
小林薫さんの存在感ってどのドラマや映画でもいつもとても大きい。
私は小林薫さんが出ている作品は興味を持って観てしまいます。
今回のような自然体の演技も、無口な役も、べらんめえ調の役も、関西弁も、お医者様も、ヤクザも・・・・全てハマる。 思えば『ふぞろいの林檎たち』での印象が私の中では今も強く残っています。
話が逸れました・・・
来週の予告編での一輝の言葉。
「嫌なことも辛いことも消そうとしないで全部光で包んだら、僕の光は無限大になります。」にすでに涙ぐんでしまった(笑)
一輝という名前も?
様々な人との出会いも?
タイトルの『奇跡』はきっとドラマのなかに、一輝の人生の中にいっぱいあるのかもしれない。
来週、どんな形で最終回を迎えても、一輝を応援したくなるはずと期待して観ようと思います。


このドラマの本質を的確に文章にされてて、すごいなぁ羨ましい(*^^*)と思っています。
本当にこのドラマ良かったですよね(^-^)
最後まで見届けましょう(^o^)
もかさんこんばんわ。
ストーリーの受け取り方、読み解き方は人それぞれと思いますが、私の場合はドラマを観た時に、どうしてもそれぞれの立場の人の気持ちを『知りたがる』ところがありまして(^ ^)
例え悪役でも、どうにもダメな人でも、そこに理由を見出したくなるのです。
そういう意味では、このドラマはそれぞれの登場人物の背景と心の動きがすごく自然に表現されていて、セリフも間の取り方も良いですよね。
決してドラマチックではないのに、心に残る場面がいっぱい。
来週、楽しみにいたしましょう(^-^)