きのう、ひさしぶりに友人と電話で話しました。
何年ぶりだったか・・・よく覚えていないけれど
年賀状と年に一度くらいはメールのやり取りをしたかもしれない。
でも話をしたのは2年ぶりくらい。
年齢は私の6歳上になる。かつて1年だけ働いた職場で知り合った人。
そういえば、考えてみたらもう10年くらい会っていない。
歳も離れているし、会って何かを一緒に楽しむことはあまりないのに
話をすれば尽きない。
多分、経験や価値観に共通する部分が多いのだと思う。
親との関係性や、そこから生じる感情とか、早くに自立した生活をしてきた環境、音楽の趣味、そして同じ職場で経験した共通の疎外感や仲間意識のようなものとか。
共感部分が根本にあるので、なんの話しをしても少ない言葉で、なんだかわかるような気がしてしまう。
それと比べて・・・・
近くにいるのに、散々話しているのに、行き来もしているのに、理解できない人がいる。
それは私の母。親子関係がうまくいっている私の親友にそれを話すと
「血が繋がっているのに悲しいね。」「親子だもん、きっとどこかで分かり合えてるよ。」と言ってくれるのだけれど・・・・
正直、悲しいわけでもないし、どこかで分かり合ってる気もしない。
ただひたすら、「なぜ?噛み合わない?」という疑問ばかりが生まれている状態で、今の私にはわかりあう方法が尽きてしまった。
会話を尽くせばで理解し合えると思って、伝えよう、理解しようと思ってやってきたけれど・・・
血が繋がっていても、会話が通じない感覚がずっとある。
その通じない感覚があるということを伝えても、それがどういう意味合いなのかわからないらしい。
母にとって会話が成り立って通じている。という感覚は
ひたすら自分の感情を慮ってくれる。
自分の不快感や嫌な気持ちを聞いてくれる。ということで、
相手が発した言葉の裏側を考えようとはしないみたいだ。いや、正確に言えば本人は相手を思いやっているつもりなのだけど
それが『快』か『不快』かで物事を決めるので
「うわ、あの人かわいそう。」
「うわ、あの人嫌な人。」
「あの人はいい人。」
という反応で、コミュニケーションに繋がっていかないのだ。
なので、長く付き合っていると、一方通行な感じがして分かり合えた感覚がない。
簡単なことで言えば、「あのドラマおもしろいよね。」と言っても「私あの女優嫌いだから見ない。」と言い放っておしまい。
そして、自分が好きな別のテレビの話しをし始める。
私が食欲がない。という話しをすれば、昨夜自分が食べた献立について一つ一つ説明しだしたりする。
どうやら私にだけではなく、他の人にもそういうところがあって、
高齢者同士での健康話しをしていても
相手が「私、骨密度が低くなってきたよね。心配で・・・」と言うと
「私はね、ぜ〜んぜん平気。年齢の割りに骨密度は良いのよ〜でもね、血圧が最近高くって、それでね。」と言うように・・・・
相手の投げかけた心配な気持ちをを受け取らず、むしろ逆撫でするような返しをして
自分の話題に変えてしまう。
なので時に相手をカチンとさせてしまっているようだ。
そしてしばらく付き合って、ちょっと思い通りに会話が進まなくなると、「あの人は嫌な人だ。」とか「あの人のおしゃべりでうるさいから疲れる」とか私に言ってきたりする。
それでも他人に対しては、まだ外面を気にするけれど、母にとって一番気にしないで良い「娘」という存在に対してはまるで御構い無し。なので会話がいつも一方通行。
同じ日本語で会話をしているのに・・・・・なんでか言語が通じていない感覚がずっとある。
それは、価値観がちがうのか、言葉の受け取り方が違うのか・・・。
色々と探ったけれど、もうお手上げ。
私が理解しようと母の気持ちに合わせすぎてしまうと、まるでカウンセラー状態になってしまう。
自分の感情の不安を全部私が背負ってくれるものだ。と思ってキリがなくなってしまうのだ。
それでとうとう私も力尽きて、数ヶ月前に強烈に言い返してしまった。
それに対しては、泣くか、少しキレるか、混乱して具合が悪くなるか、「土下座すれば許してくれるのか。」と言い出すだけで、私の言葉を理解しようとはしなかった。
むしろ、私の不機嫌をなんとかしておさめる為に終始して、理解をしよう。という気持ちにはとてもならないらしい。
それから、しばらくメールで様子を伺うだけで、適当な距離を置いていたのだけれど・・・・
いつまでもそうしておくわけにもいかない、と久しぶりに電話で喋ったら、
「ひさしぶり。」でもなく「あの時は・・・」でもなく、
これまで通りに、一方的に自分の不調を訴え続けていた。そのあと、車で食品などを届けに行ったのだけれど
車の扉を開けても、一方的に自分の今日の体調をしゃべり続け、私から食品の入った袋を受け取ると、「あら、重たいわね。」と言ってそのまま行ってしまった。
数ヶ月前に、強く色々と言ってしまったこと、伝えようと思って言ったこと。
やっぱり全て伝わっていなかったようで、私は自分がもやもやしたり、これからどう接していこうかと悩んだことがあらためて無駄だったことを実感したのでした。
伝わらない。
理解し合えない。と思うもどかしさ、解決できないことってある。
親だろうと他人だろうとあまり関係はなく、言葉の奥の思いが通じ合うということはそう簡単なことではないようだから
通じ合う相手を大事にしようと思ったのでした。


酷暑ですが体調は大丈夫でしょうか。
私も母とは考え方が合わずずっと違和感をかかえてここまできてしまいました(笑)
私の母は一言で言うと偽善の人。。
この前もその事で私が我慢できず意見してしまいましたが。
毎週通院に付き添っていますが帰宅すると疲れます。。
もう先の人生が見えている母に言いすぎたかなと考える日もありますが。
お母さん大好きな方がたまに羨ましくなります。
暑いですね、休み休み過ごしています。
もかさんも母親に違和感を感じてきたんですか。
その感覚は持ったことがないと
説明ができない感覚だと思います。
高齢になると、こちらが嫌だなと思う性質の部分が強くなったりもしますから
ついこちらも指摘したくなります。
こちらも更年期なもので(笑)
人生の先輩として、更年期の娘を理解してくれるような人だったらきっと違うのでしょうけれど。
どうやら私の母はそういうタイプの母親ではないみたいです。
いくつになっても頼れる母親、おしゃべりして楽しい母を持つ友人が羨ましいです。
もかさん、ご自分を責めるのはさらに疲れます。
お互いに、責めるのをやめときましょう(笑)
以前に一回、コメントを差し上げたのですが、もしかしたら違う名前だったかも知れません<m(__)m>
今までのお母様の記事を読んでいて思ったのですが、お母様は人間関係を「線」ではなく「点」で考えているような方なのではないでしょうか。
その場、その場で自分の欲求が満たされれば良い。
他者はその為に存在するものである。
もちろん、これだけではないのでしょうが、大前提にこのような思いがあるように感じました。
人間関係と言うのは一朝一夕で出来上がるものではなく、2人だけの積み上げてきた歴史があると思うんです。
その中で、お互いに許し合ったりしながら、信頼関係を構築していきます。
悪い意味でなく「貸し・借り」を作り、ギブ&テイクの関係性がいつしか出来ていくと思います。
でも、この暗黙のルール(とこちらが思っていること)を完全に無視する人がいます。
そもそもの土壌が違うので、この「暗黙の」が通じないのです。
そんな時、疲労するのはこちら側の人間です。
「悪人」ではないけど、妙に疲れる人と言うのはいますよね。
恐らくですが、お母様はこのようなタイプの方なのかも知れません。
まーささんも「期待してはがっかりする」を繰り返してきたのではないでしょうか。
まーささんは、的確にお母様の性格を分析されていると思いますし、それを踏まえて上でお付き合いされているようですし、これからも自分の領域を守りながら、上手にお付き合いされていくのが良いと思います。
色々、好き勝手書いてしまいすみません。
お気を悪くされたら申し訳ないです<m(__)m>
こんにちわ、以前たしか桑田さんファンということで
音楽のお話しコメントしてくださいましたよね、
ありがとうございます。
今回もご丁寧なコメントをいただきまして、
なるほど、と考えさせられました。
これまでいろいろな本を読んだり私なりに学んだり
相談やアドバイスをいただいたりしましたが
「点」と「線」という言葉での説明ははじめてで、新鮮でとても納得がいきました。
私はギブ&テイクの関係性、お互い様。という思いに重きを置くところがあり
それに対して、母は依存的でありながら「ヒトに借りを作りたくない」という行動をすることに疑問を感じていました。
頂き物をしたら、その場でお返ししないと気が済まないとか、そこから関係性をのちにつなげていこうというやり方が負担になるらしいのです。
「点」で生きるヒトにとっては、なるほどそうなるだろう。と謎が解けます。
いっそ、悪人と思う行動があれば私も気が楽なのにと思ったことも多々あります。
気を悪くするなど、とんでもない。私の絡んだ思考の中にまたひとつほぐしてくれる言葉をかけていただいて嬉しく思います。
なんども読み返しています。
ありがとうございました。