自分の親の性格って、実はわかっていなかったんだと最近特に思います。
私の場合は特に母親。父が亡くなってから、母がどんな性格なのかが更にわからなくなってしまった。
考えてみれば、私は18歳で家を出ているので一緒に暮らした時期は物心ついてからを考えるととても短かった。
社会に出たこともなく、専業主婦だった母は常に父に従う言動をしていて、我が家の場合は母が私に父の愚痴を言っているのが当たり前の光景。母は常に被害者の立場。
母が常に父から理不尽な態度を取られている。という図式が私の中で成り立っており、それに対して私もあまり疑わずにいました。
けれど、自分が結婚をして経験を積んできたら、父もそんなに理不尽な態度をとっているようにも思えず、母の一方的な被害者意識に疑問を抱くようになっていきました。
そんな矢先に父が亡くなってからというもの、母のそれまでの言動と一人になってからの言動とが見ている私からは結びつかず、
母は何がしたかったのか、母の本音はどこにあるのか理解ができずに今に至っています。
結局は、母は父の言動のせいにしながら、ずっと被害者の立場に立って誰かに守られていたかったのかもしれない。
それは、私の母が自分の父親に対しての依存心がとても強かったこともあって
ずっと親元を離れられない人生だったので、それは変わることがなかったんだと思う。
母は自分の父親(私の祖父)を亡くした時に
とても混乱して、そこから当時21歳の私に対してすごく依存するようになった瞬間をはっきり覚えている。
自分の夫には母の満足する依存はさせてもらえないことがわかっていたから、娘である私に依存の対象を変えたのだと思う。
それでも、家を出て自由にやっている私に日々依存ができるわけではないので、父にも依存を抱きながら完全に依存できない不安を抱えながら生活していたのだと思う。
そもそも、母は人に心を開かない。あくまで依存心を満たしてもらうことを望むのが人間関係であって、わかり合ったり理解しあったりということはあまり必要ない人なのかもしれない。
父が亡くなってから人生で初めて一人暮らしをしている母は
はじめは不安定で大変だったけれど、5年ほどたってやっと自分のペースに慣れてきたら
母の驚くほどのマイペースぶりにこちらが戸惑っている。
年齢のせいもあるのだとは思うけれど、まったく他人に合わせられない人だったんだということが見えてきた。
これまでは、全てを父に合わせて生きていて、父が神経質すぎて大変だ。というようなことを言っていたのだけれど、
母が一人暮らしをはじめたら、相当に神経質で自分のルーティーンをまったく崩せない生活をしている。
こんな人だったっけ?と思って母に聞くと、自分でも自分のことがよくわかってない様子で
でも、そうしていないと落ち着かない。そうだ。
基本、不安の大きい性格なので一人で暮らしているとそこが膨らんでくるのかもしれない。
かといって、じゃあ、私の家で一緒に住む。とか一人暮らしの妹と住む。のは嫌なんだそうだ。
誰かいないと寂しいけれど、人とは一緒に住めない。
自分の一人暮らしの生活を大丈夫かどうかそばで見ていてほしい。というのが本音らしい。
なので、夕飯の時間などに母の家に顔を出すと、自分一人で自分のご飯を自分だけで食べている。
私の分もなにか作って振る舞うとか、持って帰らせようとするとかしない。
昔から、自分の妹である叔母が遠方からやってきても、決して家に泊めることもなかった。
父がいるからちょっと・・・というのが理由だったけれど、一人暮らしになってからも変わらず、さらに一人暮らしになってからは、
年のせいもあるのかもしれないけれど、旅行のついでに、と母の所に寄ろうと思った叔母に、会うことすら拒む。
それが相手の思いを踏みにじる行為だとは思わずに、自分のペースと自分の感情を優先させている。
そして、「あの人忙しいから、別に私が合わなくてもいいのよ。」と言うのだ。
なんとも気難しい。後で聞いて叔母に申し訳ないと思ってしまった。
年齢が重なって、本来の性質が表面化するとは聞くことはあるけれど、
私の母の場合、父が亡くなったことによって本来の母の性格が表面化し、
それまで「父のせい」にしていた行動は、父のせいではなく、母本人の性質だったんだと思うようになった。
親の性格なんて、実はわかっていないのかもしれない。

