「自己愛性人格」という言葉、わりと一般的に知られてくるようになってきている。
「自己愛性人格障害」というと、自己中心的で派手に周りを振り回す。というイメージや
「自分大好きな人」というイメージが持たれるけれど、
この「自己愛性人格」という解釈はなかなか複雑で、私も理解しきれていない。
ざっくり言えば「正常な自己愛が持てずに起こる行動や人格」になる・・・
その正常な自己愛〜が持てない。とはそもそもなんなのか。というと
これも今の段階でざっくり言うと
「ありのままの自分を認めて愛することができない」というコンプレックスの歪みが絡んだ人格。となる、らしい。
『毒になる母〜自己愛マザーに苦しむ子供』という本を以前に紹介しましたが
私がなぜ『自己愛性人格』について考える機会を持ったかと言うと、やはり母との関係から。
母に対して起こる違和感。をなんとか自分の中で理解したくて
色々と本を読みあさったり調べた結果、たどり着いたのが「自己愛の歪み」についてでした。
最初は、自分が何かの「パーソナリティー障害」なんじゃないかと思うところから始まって
自分は自尊心が低く、自己愛が弱いんじゃないか。と思った。でも、それに対して母は少し違う。
その辺を探っていったら母の隠れた自己愛の歪みを知ることになった・・・・
父が亡くなって、母の性格が表面化してきた時に、パーソナルの問題を持っているのはむしろ母なんじゃないか?と見えてきた部分もある。
それまでは父のペースにあくまでも「合わせてつくす母」と見えていて、母はいつも「被害者」だった。
けれども、子供の頃からの母への「違和感」は、自己愛性やパーソナリティやコミュニケーションの問題と考えると腑に落ちてきた。
母は、神経質で、不安が強い。とはわかっていたことだけれど
実は自己愛が強く、そこに歪みがある。とはなかなか当てはまらなかった。
実は「自己愛性パーソナリティ」は、日本人に当てはめると少し違う形で表面化するという説があるのです。
自己主張をすることが人間関係の文化として成り立つ欧米と
自己主張を表に出さず、隠しながらその自己愛を成り立たせる日本人の性質。
例えば、「自分の話ばかりして自己アピールをする。」のが強い性質が
日本人においては「人の話を聞いている風でありながら聞いていない。同調している風にしつつ自分の話にすり替える。」という表現になることもある。
また「自分は尊敬されるべき人間だと主張する。」性質も
日本人の場合は「自分は価値のない人間だと必要以上に言うことで、相手からそんなことないわよ〜、と賞賛を引き出す。」
さらに、自己愛性パーソナリティに強く見られるという共感性の欠如は
日本人特有の「謙虚さ」や「同情心」をみせつつも、実は自分をよく見せるためだけのポーズだったりする。
・・・・という解釈になるので、非常にわかりにくい「自己愛性パーソナリティ」が存在するらしい。
この一連の解釈で、私はやっと母への違和感が結びついたのです。
幼児性が強い。恐怖心不安が強い。同情心は口にするけれど、共感性がない。
でも感じは良くて、自己主張はあまりしない控えめに見える。けれど融通が効かないので、相手には合わせないし、譲らない。本心から謝らない。
それらが自己愛性の強さとは私にはわかりにくかった。
回避性人格、不安神経症、依存性人格。そこばかりをみていたけれど
人に依存しているようで、
自分を優先するために相手をやんわりコントロールしようとする「複雑な強さ」
自信が無いそぶりで、他人から賞賛や恩恵を引き出そうとするやり方。
まあ、当てはめちゃえばみんなそうなんじゃ?と究極はなってしまいますが・・・
子供の時に、そういったことがわかっていたらもっと違っていたのかな・・・って無理か。
ただ、その違和感から逃れて自由になりたくて、そのためになんとしてでも進学したかった。そこは人生のモチベーションになったと思う。
自己愛性パーソナリティについては、これからもっと日本人に合った詳細な分析がされるかもしれないし、また違うパーソナリティの問題と提案されるかもしれないけれど
そういう人とどう付き合っていったら良いのか、知ることで自分を楽にできます。
なので、「隠れ自己愛性パーソナリティ」という人がいるらしい・・・ということもご参考までに。

