先月、スマホを落として壊してしまった。
画面を破損してしまったので、修理に出したら・・・
まあ色々とあってSIMカードの中のデータも消去されてしまい、アドレス帳がなくなってしまった。
オットとの共通の知り合いや親戚関係の連絡先はオットからもらうとして・・・
他の私の友人関係は、パソコンや年賀状からなんとか探し出す・・・・
それでもわからない人には、久々に連絡してアドレスを入手しました。
アドレスが消え去った!!・・・・とわかった時に、私は慌てるよりも、ショックよりも、
なんだかホッとして、すっきりと、諦めのような気持ちがすぐに湧いてきて自分でも意外でした。
ほとんどのアドレスがなくなって改めて考えると、私にとって今連絡を必要とする相手はほんの数十人。
その中でもやりとりをする相手は10人程度。
年に1度でも合う相手は3、4人。
なのに、今までアドレス帳にはかつての職場の同僚など、もう15年も25年も前の知り合いの携帯番号までびっしりありました。
いつか整理しようと思いつつ、多分心のどこか端っこのほうには、
スマホのアドレス帳にある「あの人は今・・・」状態の知り合いの名前が引っかかっていたんだと思う。
でも、申し訳ないけれど連絡先がわからなくなれば、もう知り合いでも友人でもない人、な訳で
気にかけることも、ほんとに申し訳ないけれど名前も忘れて良いのだ・・・・。
いつかまた・・・と思っても結局「いつか」はない。
10年ほど前に、年末近くに祖母が亡くなって急に「喪中」になった時と
5年前に父を無くして「喪中」になったのをきっかけに、年賀状のやりとりをする人もこちらから減らしてしまった。
でも、携帯のアドレスは残して居たんですね・・・・なので今回のことで本当に「さよなら。」になった訳です。
多分、私はその人間関係にさよならしたかったんだと思う。
でも、悪いかな、失礼かな。自分は薄情かな、と行動もしないくせに「想い」だけを残していたみたい。
以前のスマホがとても壊れやすくて、ひどい時は3ヶ月ごとに修理に出していたので
スマホが壊れること、写真やメールなどのデータが無くなってしまうことにはすっかり慣れてしまっていて
壊れたら無くなるものなんだ。とインプットされていて、こだわりは少なかった。
一度も無くしたことのない物。無くすことを恐れている物。それらを無くした時にはきっとショックが大きいのだと思う。
でもこれはすごく大事。これがないと困る。と思う物やこだわりが増えていくと
それが常に心の奥に常に引っかかっていて、不安も増えるし、生きていて重たいと思う。
それと同じように人間関係にも「想い」を持ってしまうと、年齢とともに「持ちモノ」はどんどん増える。
だからこそ、最近「断捨離」などという言葉が流行っているのだろうけれど・・・。
私は、物はそんなに断捨離したいとは思わない。気に入った物や好きな物に囲まれて過ごすのは心地よいし、楽しいから。
でも、それらが無くなってしまっても、壊れてしまってもそんなにこだわらない。モノ自体には「想い」を持ちすぎない。というくらいの気持ちなのですが・・・
人間関係になるとつい「想い」を持ってしまいがち。
50歳が近くなり、人生もそこそこ重ねてきて、これからの自分を考えた時に、
人間関係も今の自分に合う付き合いを選択して、スッキリさせた方が生き方も楽になれそう。

